

2025年2月23日、写真家であり登山家でもある石川直樹さんのトークショーが弊社実店舗のTHE GATEにて開催されました。
会場には約70名のお客様にお越しいただき、石川さんのヒマラヤ登山の貴重な映像を交えたお話に、皆さん熱心に聞き入っていました。石川さんは冒頭、「昨日は金沢にいて、今日福井に来たんですけどね。また雪が降ってて足元が悪い中、来ていただいてありがとうございます。」と、会場に集まったお客様へ感謝の気持ちを述べました。
そして、2001年のエベレスト初登頂から2024年のシシャパンマ登頂まで、8000m峰14座登山の軌跡を振り返り、それぞれの山の個性や、登頂に至るまでの苦労、そしてそこから得られたメッセージを語りました。

トークショーは、石川さんの登山家としての出発点となった17歳の頃のインド・ネパール一人旅の話から始まりました。「高校二年生の夏休みにインドとネパールを一人で旅したんですよね。17歳の時なんで、もう30年前になっちゃいますね。」と、石川さんは当時を懐かしそうに振り返りました。

2001年のエベレスト初登頂の際には、フランス人エクストリームスノーボーダーのマルコと出会い、頂上直下で再会を果たします。マルコは世界で初めてエベレストからのスノーボード滑降に挑戦した人物であり、石川さんはその様子をカメラに収めました。「世界で初めてのスノーボーダーの発想でした。」と、石川さんはマルコの挑戦を称賛しました。
2014年のマカルー登頂の際には、夜明け前に頂上に到着し、日の出を待つ間、極寒の中で手足の血流を維持するための工夫などを披露しました。「この雪の斜面の本当にこの映ってるこのあたりでずっと日の出を待って、この手をこうやって振って、あの手の指先にこう。血を巡らすようにっていうか、血流を生かすように。それで足でこう雪面をずっとこう蹴って、つま先にこうね、血を生かせるようにして、こうこんなことしながら一時間以上待ちましたね。」と、当時の状況を鮮明に描写しました。

2019年のK2遠征では、30代のシェルパたちと出会い、彼らの生き方に感銘を受けます。 それまでのシェルパのイメージとは異なり、彼らはSNSを駆使し、自分のための登山を追求する新しい世代でした。 石川さんは彼らとの交流を通して、シェルパの社会の変化を感じ取ったといいます。 「今の30代のシェルパはそういうガイドもするけれども、自分で自分の登山をしたり、自分で6000mの未踏峰に登りに行ったりとか、アラスカにシェルパ達だけのグループを作って遠征に出かけたりとか、そういうことをし始める最初の世代で。」と、彼らの変化を語りました。

2022年のカンチェンジュンガ登頂は、2度目の挑戦で成功を収めます。 1度目は頂上を間違えてしまい、下山後にカトマンズに戻って休養し、再挑戦したというエピソードは、石川さんの粘り強さを物語っています。 「頂上の稜線がノコギリの刃みたいにギザギザになってて、そのギザギザの中の一番ちょっと高いところを登んなきゃいけないんだけど、そのギザギザの隣の隣ぐらいに登っちゃったんですよね。」と、失敗談をユーモラスに語りました。
そして、2023年の秋、シシャパンマで他チームの雪崩事故に遭遇します。 目の前で雪崩で3人の登山家が流され、撤退をしながら振り返ると、更にその先の登頂目前にしていた隊のいたところに雪煙が舞っており雪崩により流された事を知りました。「全部を流したりしたら、なんていうかな、少しこう理解できるんですけど、この時はピンポイントの雪崩がここで一つ起こって、3人流して、ここで一つ起こって3人流して、すごいこう、雪崩の方から当てに来たみたいな感じだったんで、すごい怖くなったんですよ。」と、雪崩の恐怖を語りました。
悲劇を目の当たりにした石川さんは、山の神様の存在を感じ、自然への畏敬の念を改めて深めたといいます。ヒマラヤ登山では通常、ベースキャンプで、”プジャ”という登山の安全祈願を行うそうで、 祭壇を作り、タルチョ(チベット仏教の旗)を張り、山の神々に祈りを捧げます。2023年のシシャパンマでは、たまたまこの”プジャ”を行わずに登山をした事もあり、この時は神の存在を感じるという事になったようです。

トークショーでは、石川さんの写真家としての側面についても触れられました。
石川さんは、フィルムカメラで撮影することにこだわり、極寒のヒマラヤでフィルムを交換する苦労や、カメラが凍結しないように工夫する様子などを語りました。 「写真を撮るのも、その首から下げたり、肩に担いでたりすると山登りしているのが危ないんで。常にザックの中に入れてて、撮るときにザックを下ろして取り出して撮るっていうことしかできないんで、やってないですよね。」と、撮影の裏話を明かしました。
質疑応答では、参加者からカメラに関する質問がありました。 石川さんは、カメラの凍結対策として、カメラケースに入れてテントの中に入れておくことや、撮影のタイミングを逃さないように、ザックからすぐに取り出せるようにしておくことなどをアドバイスしました。いつ撮るのかは「本当に体が反応した時ですね。わあ、すごいとか綺麗だなとか、なんだこりゃと。あの、とにかく思った時にも必ず撮るっていうか、撮り渋りしないっていうか、出し惜しみしないっていうか。あの反応したらもう絶対撮るみたいな。」と、写真に対する熱い思いを語りました。
トークショーの後には、石川さんの写真集の販売も行われ、長蛇の列ができました。
石川さんのトークショーは、ヒマラヤ登山の魅力だけでなく、自然と向き合うことの意味や、人生における挑戦の大切さを改めて考えさせてくれる、貴重な機会となりました。



PROFILE
1977年生まれ。写真家、登山家。2001年、23歳の若さでエベレストに初登頂。その後も世界中の山々を登り、2024年10月には、8000m峰14座の登頂を達成。写真家としても活躍し、山岳写真だけでなく、世界の辺境地や都市をテーマにした作品も発表している。
8000m峰14座
- エベレスト (ネパール/中国)
- K2 (パキスタン/中国)
- カンチェンジュンガ (ネパール/インド)
- ローツェ (ネパール/中国)
- マカルー (ネパール/中国)
- チョオユー (ネパール/中国)
- ダウラギリ (ネパール)
- マナスル (ネパール)
- ナンガパルバット (パキスタン)
- アンナプルナ (ネパール)
- ガッシャーブルムI峰 (パキスタン/中国)
- ブロードピーク (パキスタン/中国)
- ガッシャーブルムII峰 (パキスタン/中国)
- シシャパンマ (中国)
石川直樹さん着用アイテム
標高8,000mの世界ではどんな服を着て過ごしているのかが気になるところ。THE NORTH FACE ATHLETEでもある石川さんが「だいたいこの3枚のレイヤードで8,000m峰ってのは登れるんですよね」と話していた3着のアイテムを紹介します。

THE NORTH FACE
Himalayan Parka&Pant
1994年に登場し数多くのエベレスト登頂や極地での探検を支えた名作ヒマラヤンパーカ。
酸素は平地の約1/3、-70℃を下回る気温に瞬間最大風速300m/s以上の暴風が吹き荒れる標高8000mを超えたデスゾーンでの活動をも可能にするノースフェイスの技術を結集したフラッグシップモデルです。
極限の環境下でも直感的に使用できる操作性の高いポケット、冷気の侵入を徹底的に防ぐ構造と最高峰たるゆえんが随所に感じられる1着。
石川さんはジャケットとパンツ一体型ツナギ仕様の「ヒマラヤンスーツ」を標高6,500mから着用するそう。

THE NORTH FACE
Expedition Dry Dot Hoodie
行動時間や運動量が多い遠征や、気温や天候変化が激しい高所での着用を想定したテクニカルベースレイヤー。
肌面のドライ層と表面の吸水層をつなぐ無数のドットが汗や衣服内の蒸れを積極的に放出し肌をドライに保つ高機能ウェアです。2週間程度お風呂にも入れないヒマラヤ遠征中でもずっと乾いた状態でストレスなく着続けていられるとは石川さん談。

THE NORTH FACE
Expedition Grid Fleece Hoodie
適度な保温性と通気性を兼ね備えたアクティブインサレーションフリース。
中空繊維を用いた軽量なフリース素材はデッドエア―を溜めやすく、薄手ながら保温性と速乾性に優れています。
素材特性上ベースレイヤーから放出された水分を吸収しすぐに乾かしてくれるため、こちらも長期間の着用でもストレスを感じさせない1着。